APPI 2026 / GLOBAL VIEW

令和8年 個人情報保護法改正
AI開発に使える特例
本当の射程と、日・米・欧・中の比較

2026年7月10日に成立した改正の核心は、AI開発・統計作成なら本人同意なしに個人データを使える特例。ただし、これは生成AIの学習を自由化する話とは限らない。何に効いて何に効かないのか、なぜ生データが要るのか、加工情報の分類、そして各国スタンスの違いまで、用語をその都度おさえながら立体的に整理する。

SECTION 01 / WHAT CHANGED

改正の主役は「AI開発なら同意不要」という特例

3年ごと見直しに基づく大規模改正。4つの柱のうち、AX(AI変革)に最も効くのが同意規制の緩和だ。

2026.04.07閣議決定 2026.07.10参院で可決・成立 〜2028全面施行の見込み(公布から2年以内)

核心は、統計作成等(AI開発を含む)に限って、本人同意なしに個人データを使える特例だ。まずこの「個人情報」と、緩和の対象になる2つの言葉を押さえておきたい。

用語個人情報

生存する個人に関する情報で、氏名や生年月日・住所等の記述、または個人識別符号によって特定の個人を識別できるもの。利用や提供には原則として本人同意が必要になる。

用語第三者提供

個人データを本人以外の第三者に渡すこと。原則は本人同意が必要。届出を前提に同意なしで渡す「オプトアウト提供」の例外があるが、後述の要配慮個人情報はその対象外。

用語要配慮個人情報

人種・信条・社会的身分・病歴・犯罪歴・犯罪被害など、不当な差別や偏見が生じないよう取扱いに特に配慮を要する情報。取得と第三者提供に原則同意が必要で、今回の特例が「同意なし取得」を認めて議論を呼んだのがこの類型。なお氏名・住所はこれには当たらない。

PILLAR 01

AI開発・統計作成の特例

統計作成等(AI開発を含む)に限れば、本人同意なしに個人データの第三者提供や、公開された要配慮個人情報の取得が可能に。利用目的による制限・第三者提供の同意原則を緩和する。

PILLAR 02

課徴金制度の新設

不適正利用・不正取得・違法な第三者提供・統計特例違反のうち、大規模(本人1,000人が基準)で悪質な違反に、違反で得た財産上の利益相当額を課す。個情法で初の金銭制裁。

PILLAR 03

顔特徴データ等の規律

顔特徴データ等について、取扱いに関する一定の事項の周知を義務化。利用停止等請求の要件を緩和し、届出による同意なしの第三者提供(オプトアウト提供)を禁止する。

PILLAR 04

こどもの保護強化

16歳未満の個人情報は原則、法定代理人の同意を要するなど、未成年に対する保護を上乗せする。事業者には「こどもの最善の利益」を考慮する責務も明文化された。

PILLAR +

執行強化(罰則・緊急命令)

データベース不正提供罪に加害目的類型を追加し、詐欺・不正アクセスによる不正取得罪を新設。権利利益の侵害が切迫する場面では、勧告を経ない緊急命令も可能になる。

PILLAR +

実務まわりの整理

委託範囲外のデータ取扱いの禁止を明文化、漏えい通知は支障がない場合の代替措置を許容。医療機関の学術研究例外への位置づけも明確化された。

※ この「AI開発を含む」が実際に何を指すのかは、拡大解釈が起きやすい最重要ポイント。次のセクションで切り分ける。施行は公布から2年以内(2028年頃見込み)。本資料は解説目的の整理であり、法的助言ではありません。
SECTION 02 / TRUE SCOPE

特例の"本当の射程"——効くのはどこまでか

特例の背骨は、条文の定義にある一本の縛り——成果物が「個人に関する情報」であってはならない。この一線で、何に効いて何に効かないかがきれいに分かれる。

大原則成果物が「個人に関する情報」であってはならない — これが特例の一本の背骨。出力が"個人"か"集計"かで扱いが決まる。
本命 / FITS

統計・機械学習

傾向・集計・汎用モデルを作る用途。出力が特定の個人にならないので、特例に素直に乗る。今回の緩和が本当に効く中心はここ。

需要予測異常検知傾向分析分類モデル
グレーゾーン / UNSETTLED

LLM(生成AI)の事前学習

生成モデルは学習データを断片的に吐き出す(regurgitation)ため、「個人が出ない」と言い切りにくい。どこまで含むかは委員会規則・ガイドライン待ちで、まだ未確定。

事前学習ファインチューニングRAG評価データ作成
想定外 / OUT

個人単位の出力

統計的な手法を使っていても、成果物が個人に関する情報ならこの特例の外。統計の名を借りたプロファイリングは通らない。

個人スコア属性推定信用力疾病リスク採否可能性
SECTION 03 / USE CASES

○に乗せて、これまで作りづらかったモデルが動き出す

同意の壁やデータの分断で止まっていた"個人を出力しない"モデルが、具体的にこう作りやすくなる(個人スコアや属性推定のような個人単位の出力は、統計手法でも対象外)。

医療

重症化・早期発見の予測

従来:複数病院の症例と病歴(要配慮)が要るのに、市中病院は学術研究例外に依拠できず、同意の壁で症例が集まらなかった。
特例で:病院を学術研究機関等に含め、公開情報の要配慮取得も可能に。希少症例を削らず横断学習でき、精度を上げやすい。
必要な項目例年齢・性別・身長・体重・血圧・血液検査値・診断名・病歴・服薬歴・検査日時(同一人物の時系列で紐づけ)
創薬・治験

候補探索と患者層の傾向解析

従来:希少疾患名や特異な検査値は匿名加工で真っ先に削られ、レアケースを学習できなかった。
特例で:粒度を保った生データで傾向を解析でき、治験対象の絞り込みや副作用シグナルの検知に使いやすい。
必要な項目例年齢・性別・診断名(希少疾患名を含む)・遺伝子/バイオマーカー・検査値(特異値を含む)・投薬内容・副作用の有無・転帰
金融

不正・マネロン検知(異常検知)

従来:単一機関のデータだけでは検知力が頭打ち。複数機関の突合は本人同意・委託の整理で難しかった。
特例で:横断データで異常検知モデルを作れる。※個人ごとの信用スコア作成は対象外、検知=集計モデルは○。
必要な項目例取引日時・金額・送金元/送金先・口座ID・取引種別・端末/IP等のメタ情報・取引履歴(時系列パターンが主。氏名そのものより挙動が効く)
小売・製造

需要予測とサプライチェーン最適化

従来:複数事業者の購買・在庫データを跨ぐ学習が、提供の壁で進みにくかった。
特例で:横断データで需要予測・在庫最適化・不良検知など、個人を出力しないモデルを構築しやすい。
必要な項目例購買日時・商品カテゴリ・数量・価格・店舗/地域・在庫データ・顧客ID単位の購買履歴(会員属性:年代・性別)
モビリティ・都市

交通需要・防災リスクの予測

従来:位置情報(準識別子)を含むデータを跨ぐ解析が難しかった。
特例で:交通需要予測、渋滞・事故リスクの傾向分析、インフラ異常検知など、集計出力のモデルが作りやすい。
必要な項目例位置情報(GPS/基地局)・時刻・移動経路・交通手段・端末ID・気象/センサーデータ(同一端末の移動を時系列で紐づけ)
横断連携

複数事業者データの統計モデル

従来:A社・B社のデータを本人ごとに突合して統計を作ることは、委託の整理では難しかった(PPC Q&A)。
特例で:統計作成等目的に限り、横断的なデータ連携で傾向・汎用モデルを作れる名寄せの選択肢が開いた。特例が本命とする領域。
必要な項目例各社の顧客ID・属性(年代・性別・地域)・行動/購買/利用履歴(本人ごとに突合される共通キー+時系列)
共通点は「バラバラの事業者・機関にまたがるデータを、同意を個別に取らずに横断学習できる」こと。逆に「統計作成等」にAIの機械学習・ファインチューニング・RAG・評価データ作成のどこまで含まれるかは条文だけでは確定しておらず、委員会規則・ガイドライン・Q&Aで外縁が固まっていく領域だ。
SECTION 04 / WHY RAW DATA

なぜ"生データ"でなければならないのか

匿名加工情報という既存ルートがあるのに、なぜ特例が要るのか。加工は安全と引き換えに、AI学習にとって致命的な3つの劣化を起こす。

1

信号がぼやける

AIは細かい相関から学ぶ。属性をバケツに丸めると、本来学ばせたいパターンそのものが消える。

2

縦のつながりが切れる

匿名加工は「同一人物と分からなくする」処理。同じ人の時系列(診断→手術→転帰)を意図的にバラすため、longitudinalな構造が失われる。

3

レアケースが真っ先に消える

特異値・希少疾患の除去は、モデルに最も学ばせたいエッジケースの削除でもある。非構造テキストでは文脈から特定できるため「名前だけ置換」はほぼ機能しない。

OK
ONE POINT

AIが本当に欲しいのは「名前」そのものではなく、加工で失われる粒度・紐付け・レアケースだ。名前の文字列はむしろ無情報なことも多い。だから「加工すると有用性が落ちる」までは共有された感覚だが、「実名・住所という記述が絶対必要」かは用途次第。ここを混同すると議論がずれる。

この議論の前提になるのが、加工情報の分類だ。「個人情報 ⊃ 個人データ ⊃ 保有個人データ」という入れ子と合わせて押さえる。

用語個人データ/保有個人データ

「個人データ」は、個人情報をデータベース化したもの。第三者提供規制などの対象になる。さらに事業者が開示・訂正・削除の権限を持つものが「保有個人データ」で、本人の開示請求権等が及ぶ。個人情報 ⊃ 個人データ ⊃ 保有個人データ という入れ子の関係にある。

RAW

個人情報

特定の個人を識別できる情報(氏名・住所等を含む)。利用・第三者提供に原則同意が必要。今回の特例が「生データのまま」使えるようにしたのがこの類型。

PSEUDONYMIZED

仮名加工情報

他の情報と照合しない限り個人を特定できないよう加工。氏名等は削るが、特異値や希少疾患名の削除は不要。対応表が残りうるため復元の余地があり、原則として第三者提供は禁止(主に社内利用向け)。

ANONYMIZED

匿名加工情報

特定の個人を識別できず、かつ復元もできないように加工。特異値・希少値の削除まで求められる厳しい基準。その代わり本人同意なしで第三者提供が可能。

RELATED

個人関連情報

Cookieや閲覧履歴など、単体では個人を特定しないが個人に関連する情報。提供先で個人データになることが想定される場合に、同意取得の確認が必要になる。改正では連絡可能なものへの不正利用・不正取得禁止も加わった。

SECTION 05 / SAFEGUARDS

同意の代わりに課される「4つのガード」

統計作成等特例の担保はオプトアウトではなく、公表・書面合意・目的外利用の禁止による。執行の主体、改正の実務ルールは、今後このPPCの政令・ガイドラインで具体化される。

用語個人情報保護委員会(PPC)

個人情報保護法を所管する独立監督機関。ガイドラインの策定、事業者への監督・指導、そして今回新設された課徴金など、執行の主体。改正の実務ルールは、今後このPPCの政令・ガイドラインで具体化される。

GUARD 01

利用目的の限定

使途は統計作成等に限定し、個人が特定される結果は出さないことが前提。提供先も民間の個人情報取扱事業者か行政機関等に限られる。

GUARD 02

事前公表

提供元・提供先の両社が、社名と実施する統計作成等の内容を、ウェブ等の見やすい場所で事前に公表する義務を負う。

GUARD 03

書面契約

「統計情報等の作成」のみを目的とする提供である旨を、提供元・提供先間で書面により合意することが必須。受け取り側の目的外流用は直接の法令違反となる。

GUARD 04

目的外利用の禁止+課徴金

取得者・提供先は統計作成等以外の目的外利用と第三者提供が禁止。これに反した「統計特例違反」は課徴金の対象になる(大規模・悪質な違反が対象)。

ただし、次世代医療基盤法のような認定・審査を挟まないため、事前公表を本人が実際に認知できるか、書面合意や目的外利用禁止の実効性を誰が監督するのか、といった実務上の穴は残る。
SECTION 06 / GLOBAL COMPARISON

日・米・欧・中で、AIへのデータの"入口"はこう違う

同じ「AI学習にどう個人データを使わせるか」でも、根っこの発想が国ごとに違う。日本の特例は、この地図のどこに置かれるのか。

EU

EU:権利ベースで世界最厳

GDPR(EU一般データ保護規則)の下、処理には同意等の「適法根拠」が必須。EDPBは2024年12月、AI学習に「正当な利益」を根拠にできると認めたが、3ステップ審査で厳格に絞る。2026年のガイドラインは公開データのスクレイピングにもGDPRを適用し、事前のデータ最小化と厳格な匿名化を要求する。

USA

米国:オプトアウト基調で最も緩い

連邦の包括的プライバシー法は不在。HIPAA(医療)等の分野別法+州法の寄せ集めで、2026年時点で20を超える州が包括法を制定。多くはオプトアウト型(拒否権)で、既定ではAI学習に使いやすい。最先はカリフォルニア(CCPA/CPRA、専門機関CPPA、自動意思決定ADMT規則が2026年1月施行)。

CHINA

中国:同意原則+国家主導の統制

個人情報保護法(PIPL)は同意原則で例外が狭く、越境移転には安全評価等の厳しい統制がかかる。一方で生成AIサービス管理暫定弁法などにより、国家がAI開発を政策的に主導。企業への規律は重いが、公共・国家目的のデータ利活用は進みやすいという非対称が特徴だ。

SECTION 07 / OPEN ISSUES

それでも残る、3つの課題

「解禁」と「懸念」はセットで語られてはじめて正確になる。今の時点で残っている論点を書き出しておく。

「個人情報保護法が改正されて、生成AIの学習データが自由になった」——この一行の要約が、いちばん危ない。今回の特例が素直に効くのは、需要予測や異常検知のような"個人を出力しない"統計・機械学習だ。LLMの事前学習に生データを流す話は「成果物が個人であってはならない」要件と吐き出し問題に正面からぶつかる。AIと一括りにした瞬間、議論はほぼ必ず混線する。

残る課題 01 / OPEN ISSUE

法案が「AI」を抽象的に使いすぎている

条文も報道も「AI開発」とひとくくりにするため、「ChatGPTのような生成AIに自分の情報が学習されてしまうのでは」という誤解が広がりやすい。実際に効く中心は"個人を出力しない"統計・機械学習であり、LLMの事前学習は未確定——この線引きを制度側も発信側も明示しないと、不信だけが独り歩きしてしまう。用語の解像度を上げることが、そのまま信頼の設計になる。

残る課題 02 / OPEN ISSUE

「公表すれば足りる」透明性に、本人は気づけるのか

特例の担保は事前公表と書面合意であり、本人への個別通知や氏名の匿名化義務はない。病歴・犯罪歴を含む要配慮個人情報まで対象になり得るだけに、本人が提供の事実を現実に認知できる導線をどう作るかは、施行までに残された宿題だ。国会でも反対会派や医療関係者から強い懸念が示され、衆院通過時には付帯決議が付いた。

残る課題 03 / OPEN ISSUE

実務の細部は、これからの規則・ガイドライン次第

「権利利益を害するおそれが少ない行為」の範囲、公表事項の粒度、LLM学習の扱い——特例の使い勝手を決める要素はほぼすべてPPCの政令・委員会規則・ガイドラインに委ねられている。2028年頃の全面施行に向けて、パブリックコメントを含む規則整備の定点観測が、実務側の必須動作になる。

SECTION 08 / ACTION

施行までに企業がやること

特例は「使える会社」と「使えない会社」をくっきり分ける。分水嶺は、データの棚卸しと契約の整理を先に済ませているかどうかだ。